神津牧場の沿革

神津牧場は,明治20年,神津邦太郎(長野県北佐久郡志賀村,現佐久市)によって開設されました。その目的は,有畜農業の導入により農業の改革を進めること,乳肉食による日本人の体質改善を行うことにありました。そこで,群馬県甘楽郡西牧村物見官有地を借り受け,牛舎を設置して牧場を開設しました。そのために,わが国で最初の洋式牧場といわれているのです。その後,いくつかの経営の変遷をたどり,昭和20年4月,財団法人 神津牧場が買い受けて現在に至っています。

明治20
(1887年)
有畜農業の導入により農業の改革を進めること、乳肉食による日本人の体質改善、乳牛の改良・増殖を目的として、長野県北佐久郡の青年神津邦太郎が、群馬県甘楽郡西牧村物見官有地272.2haを借地、牛舎を設置して牧場を開設した。我が国で最初の洋式牧場といわれている。
明治22 バターの製造を開始。
明治38 ジャージー種牡牛4頭,牝牛24頭をアメリカより,エアーシャー種17頭をカナダより輸入し,純粋種のみを飼育・繁殖し,仔牛を全国に分譲してきた。
明治末期 地積約500haの大牧場となったが,理想に走りすぎて経営困難となった。
大正10 銀行家田中銀之助の経営となった。
昭和10 明治製菓(現明治乳業)の経営となった。
昭和20年4月
(1945年)
財団法人神津牧場が設立され,牧場を買い受ける。財団法人神津牧場は,農林畜産業の振興上必要な試験研究,特に実地の事業経営を通じての調査研究及び実地応用的試験を行うとともに,斯業に関する伝習修練の施設をもち国本の培養の貢献する目的をもって,石橋治郎八氏の篤志寄付により設立されたものである。
昭和24
(1949年)
第二次大戦後,農地解放未墾地買収の対象となったが,畜産振興に貢献する民間牧場の買収除外の特例(全国23牧場指定-内地2牧場,北海道21牧場-)により,買収を免れる。
昭和43
(1968年)
群馬県畜産開発公社は,神津牧場の用地内に40ヘクタールの草地を造成し,利用施設の整備を行い,地元畜産農家の乳用育成牛預託の要望に応えることになった。これにより牧場の運営にとっても地元との連携が密になり,公共性も強まった。
平成元年
(1989年)
群馬県畜産開発公社の上記業務終了に伴い,神津牧場が群馬県の委託事業として引き継いだ。毎年,春から秋までの間,乳用育成牛を受け入れ,管理を行ってきた。
平成8年
(1996年)
寄付行為の大幅改正を行い,緑資源の利用についても調査研究及び実証を行うこととなった。
平成10
(1998年)
群馬県からの委託事業の終了に伴い,(財)神津牧場独自の公共育成牧場としての業務(受託育成牛放牧事業)とした。利用農家は群馬県内のほか,東京都や長野県などの酪農家である。
平成25
(2013年)
政府の公益法人改革に伴い、4月1日より公益財団法人の認定を受けて公益財団法人神津牧場として新たに発足した。
   
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